異国での「葬儀のお仕事」との出会い/創業者としての哲学と信念
公開日:2022-01-11
株式会社アートエンディング
代表取締役:西本 淳弥さん


今回は埼玉県越谷市に本社を置くアートエンディング様にお邪魔しました。
葬儀社ではありますが、訪問看護事業も展開されており、独特のアプローチで地域のお客様の生活に密着したサービスを提供されています。
来年の春には新規の葬儀会館をオープンされるとのことで、代表取締役の西本淳弥様に成長の秘訣をお伺いすることができました。


創業のきっかけは、命を懸けて入り込んだイラクで見たお葬式。

Q.貴社のホームページで「外国で見た葬列がきっかけでこの業界に興味を持った」という記事を拝見しましたがその時の事をもう少し具体的に教えていただけますか。
西本社長:大学を卒業して間もないころ、私は日本の中古車や家電製品、漆器や陶器などを海外に輸出する貿易の事業を 自分でやっていたのですが、なかなか安定した事業にならずに、将来に不安を感じていました。

そんな状況の中、今から18年程前にイラク戦争が起きたんです。 アメリカの正規軍が、大量の兵器とともにイラクに入ったので、戦争はすぐに終わるだろうと思いました。 戦争が終わった後は、復興のために生活必需品から車やパソコンなど、あらゆるものが大量に必要になるはずなので、これはチャンスだと思いました。

もともと貿易の事業をやっていたので、仕入れ口はありました。 あとは誰よりも早く向こうに行って、大きな商いができるパートナーと契約をして、日本からコンテナでどんどん輸出していこうと。 このチャレンジが成功しなかったら、諦めてサラリーマンになる覚悟で、戦争が終わる前にイラクに入り込んだんです。




葬祭ジョブ)戦争中に行ったんですか!
西本社長:そうです。 でも、首都のバグダットに行くまでも大変でした。 「死んでも政府に責任を求めない」といった内容が書かれた「自己責任同意書」という書類にサインをして、長距離バスで16時間移動するんです。 移動中のハイウェイでは、マシンガンをもった武装組織に襲われましたね。 まぁ、この辺の話をすると長くなるので、話を先に進めますね(笑)。

私が行ったときには、首都バグダットに日本人は20人しかいなかったのですが、私以外は全員フリーランスのジャーナリストでした。 ビジネスでの入国は出来なかったので、私もカメラマンと称して入りました。 イラク戦争が始まって、世界で最初にイラクに入った民間人が私だと思います(笑)。

大学時代の知人が、ジャーナリストとしてイラクに入っていたので、その人にビジネスパートナーを紹介してもらったのですが、思っていた以上にインフラが破壊されていて、これはもうビジネスが出来るようになるまでに1年や2年じゃきかないなって感じで。 さすがに、その状態で何年も待つことは出来ないので、諦めるしかなかったのですが、命を張って相当な覚悟で入ったので、その時は本当にショックでしたね。

その後、もう少し滞在期間があったので、爆弾は飛んできてましたけど、通訳を雇って市内観光をしました。 その時に目に入ったのが、モスクの前でやっていたお葬式です。 棺の周りを囲っている遺族を、一生懸命エスコートしているスタッフがいて、それが葬儀屋さんなのかモスクの人なのかは分からないんですけど、その対応を見ながら、戦争中っていう最悪の状況下でも、お葬式というのは大事な儀式だなって思いましたし、世の中にはそれを仕事にしている人たちがいるんだなって、、、 当たり前の事ではありますが、非日常の環境に身を置いていた当時は、それがとても意外なことに思えました。

お葬式って、確かに仕事といえば仕事だよなって。 彼らの遺族に対する声のかけ方やフォローの仕方を見ていたら、素晴らしい仕事だなって思うようになりました。 彼らの接し方ひとつで、遺族の方は心を癒すこともできるし、安心して故人様を見送ることができて、、それが今でいうグリーフケアになっているんだなっていうのを思ったんです。 それが、葬儀という仕事に興味をもった瞬間でした。

ゼロからのスタート。成長の起爆剤はインターネット集客。

Q.すごい経験をされたんですね! とはいえ、それからすぐに葬儀社を立ち上げたわけでは無いですよね?
西本社長:はい、日本に戻ってからは自分なりに葬儀の世界を調べて、1年ほど葬儀会社で就業をさせていただいてから独立をしました。

Q.1年弱で独立、、またすごい行動力ですね!創業当初、苦労した点などはありましたか?
西本社長:創業時は、越谷駅の近くの雑居ビルに事務所を構えたのですが、当時はお金も知名度もなかったので、とにかく集客に苦労しましたね。 お金がないからチラシも少ししか撒けない。 当然、少しチラシを撒いた程度じゃ反響なんて来るはずないのですが、当時は「電話が鳴るはず」って思っているわけですよ(笑)。 だから、18時に事務所を閉めたら、ランニングをしながらひたすらチラシを撒いていました。 体力には自信があったので、トータルで何万部も撒きましたけど、一切反響が無くて、、「入る世界間違えたかなぁ」って(笑)。

でも、諦めるわけにはいかないので、何とかしなきゃって思っているときに、起爆剤になったのがインターネットを使った集客でした。 17年前の当時、大手の葬儀社も含めて、インターネット集客に力を入れているところがほとんどありませんでした。 私もホームページなんて作った事はなかったのですが、参考書を見ながら、拙いながらもシンプルなホームページを作って、自分なりにSEO対策を施したら、割とすぐに検索結果の上位に表示されるようになりました。 「これはイケそうだなー」って思っていたら、本当に電話が鳴ったんです。 そこからは、越谷駅から1時間くらいで行ける場所のホームページを、エリア毎に作っていったら、ある程度の反響が来るようになって、それが一番最初に当社の業績が上向くきっかけでした。

経営に特別な能力は不要!?ファームステイ、バックパッカーの旅で得た自信。そこに身を投じることで本能が嗅ぎ分けていく。

葬祭ジョブ)時代のツールを先取りしてうまく活用されたんですね。
西本社長:結果論ですが、そういう事になりますね。私は今でも、経営に特別な能力は必要ないと考えています。

葬祭ジョブ)なるほど。その点についてもう少し詳しく教えていただけますか。
西本社長:学生時代に、海外で自分を試したいと思っていました。 もちろん英語はしゃべれないし、語学学校に通うお金もありませんでしたが、とりあえずワーキングホリデイのビザを取りました。

それで、どうやって英語を学ぼうかって考えた時に、ファームステイ先を探せる「WWOOF(ウーフ)」っていうサービスがあるのを知って、それを利用してオーストラリアの農場にお世話になりました。 逆に言えば、当時お金がない中で、海外で英語を学ぶっていったらファームステイくらいしかなかったんですけど(笑)。

最初に行った農場には半年間滞在したのですが、日本人が全然来ない中で、最後は来る人を束ねるリーダー役をやっていました。 そこで英語の基礎は大体出来るようになりましたが、いよいよお金が無くなったのもあって、町に出て仕事を探すことにしました。

町では、英語が喋れない日本人が多い中で、私は「英語しゃべれるよ」って言えたものですから、仕事を探すのは簡単でしたね。 仕事を3つ掛け持ちして、4~5ヵ月で150万円貯めました。 そのお金を元手にして、バックパッカーの旅に出て30ヵ国くらい行きました。

この経験から、要は自分がここだと思った環境に身を置きさえすれば、そこで生きていくために「何とかするんだ」っていう自信が付きました。 その自信は社会に出ても同じで、自分がやってみたいと思う仕事があったとしたら、まずはそこに身を投じてしまう。 その後、生きるために、ご飯を食べるためにどうするか?っていうのは本能が嗅ぎ分けていくようになると思います。

葬儀の世界でも、医療・介護の世界でも同じだと思っていますし、この先、新しい事業をやるとしても、その感覚はたぶん変わらないと思います。 自分がやりたいと思っている事が、社会の求める事であるのならやってみるべきです。 ゴールに辿り着くプロセスは色々あると思いますが、多少時間がかかっても、「道」は自分で切り拓いていくものだと思って、今も変わらず経営をしています。 だから、経営に特別な能力は必要ないと考えています。

葬祭ジョブ)まさにパイオニア精神ですね。ありがとうございます。

「良い生花部」とは?法人全体の共通理念は、お客様の「こうあって欲しい」に出来る限り応えること。

Q.貴社は生花部門を内製化していますが、専門葬儀社で生花部門を持っているところは少ないと思います。生花部門の立ち上げ経緯などを教えていただけますか。
西本社長:実は私の妻が花屋さん出身なんです。 結婚した後も花屋さんでしばらく働いていて、生花部門をいつか立ち上げたいねっていうのは、ずっと前から話していました。 創業して5~6年目くらいから少しずつ仕入れをして、たまに自分たちでやってみて、というのが立ち上げのきっかけですね。

葬祭ジョブ)奥様のお力添えがあったんですね。
西本社長:そうです。 今はもう妻は関わっていないですが、代わりに花の仕入れに関しては母に少し手伝ってもらっています。 せっかく内製化できたので、出来る限り「良い生花部」を作っていきたいなと思ってやっています。

葬祭ジョブ)良い生花部ですか?
西本社長:はい、内製化している強みとして、想いを共有している社員が対応する、という点があると考えています。 例えば、お客様からの「こういうユリの花が欲しい」とか「こんな季節だけどこんな花仕入れられる?」といったご要望に対しても、即答は出来なくても、しっかり調べて出来る限りやろうよっていう事が言える。 お客様のご要望に沿った細かい微調整が出来る、そんな生花部でありたいと思ってやっています。

まぁ、これは花に限ったことではなく、お客様が「こうあって欲しい」と思っているであろうことを、できる限り我々がやっていこうと、それに対しては誠実に仕事をしようっていうのは、法人全グループの共通の理念なので、この想いは創業時と何ら変わらないですね。


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